蕎麦打ち奮戦記



◆そば猪口


 普段にそそくさと蕎麦を打ち、さ〜っと茹でて食するときでも器は蕎麦の趣と味を引き立ててくれます。器といっても蕎麦を盛りつける笊又は蒸籠と猪口、薬味入れ、箸などで数も少なくシンプルなものです。そのシンプルさ故に猪口の位置付けは必然的に大きくなります。猪口の種類は製作年代や土と焼きの種別、大きさ、絵柄など様々な要素が組み合わされ、その猪口が持ち合わせた存在感があります。
そば猪口の歴史も古いようですが他の器同様、磁器によるそば猪口は、伊万里が始まりとされています。多くの伊万里磁器がそうであるように、猪口も季節の祭りごとや冠婚葬祭などハレの日に使用される器だったようです。当時の猪口の使い道はあえものなどが盛り付けられました。そば切りが一般化し、猪口を使うもりそばが食されるようになったのは江戸の中期以降のことで、「そば猪口」と称されるようになったのは大正時代に入ってからではないかと考えられています。そば猪口は今も昔も水呑、湯呑、または茶呑、酒呑として様々に使われます。大きさや形がちょうど良く、 使いやすいものです。
店先で手に取り、絵柄を観賞すだけでも愉快になります。下記にご紹介するのは骨董的そば猪口ですが詳しいことは蒐集家にお願いすることとし、此処では蕎麦打ちの観点から眺めてみました。
猪口の染付文様のページへジャンプします。
伊万里
有田焼は子供の頃より馴染みが深くその中でも繊細で透明感のある伊万里の染付が好みです。
「古伊万里」と呼ばれる猪口のサイズも染め付けによる文様も様々なものがあります。
画像左の猪口は口径:94mm高さ:74mm高台径:70mmと大きめで堂々としてます。東屋に人物と松が描かれ築山の向こうに山並みが見える山水文様です。胴は僅かな膨らみを持ち、自己主張の強い猪口です。手に持った感じはそば猪口より向付けとしての雰囲気が似合いそうです。
真ん中の猪口は口径:82mm高さ:64mm高台径:64mm。民家の向こうに二重の塔が描かれ、胴は僅かにくびれ手の平にしっくりと馴染む安定感があります。そば猪口として一番使いやすいサイズでお気に入りの一つです。
画像の右の猪口は口径:70mm高さ:59mm高台径:49mmと小さい部類です。女性が上品な音を立て蕎麦をすするには良いサイズかも知れません。絵柄は緒房(おふさ)でしょうか。
大方の猪口はこの三種前後のサイズで造られているようですが僅かなサイズの違いや形によって使い勝手も雰囲気も異なってきます。骨董品の蒐集や装飾が目的ではなく使うことを前提に手に入れますが製作当時の時代背景や制作者の意図などを想像しながら使うと思わぬ発見があり、焼き物の面白さが伝わってきます。



(見込み文様と高台)
左の画像は前述の猪口の内側を覗き込んだところで右の画像は猪口の底の写真です。
猪口の縁と内側中央部に描かれた見込み文様があり、底には銘が記されている場合もあります。それらは底の形状と合わせて製作年代が判別出来るようです。
猪口の見込み文様は酒や茶を飲むときは水底に浮かぶ文様が楽しめ、蕎麦をすする場合は猪口に残った汁をそば湯で飲みほした場合のみ現れる奥ゆかしいものになります。そのようなことを考えながら観賞したり、探すのも蕎麦うちの楽しみ方です。



(初期伊万里)
画像の猪口は現代物ですが初期伊万里を模して製作されたものです。
口径:72mm高さ:56mm高台径:52mm。
まだ一度も使用してませんが素朴な草文で小さめのサイズが良さそうです・・・・つづく



(古伊万里)
明治以前に作られた伊万里焼を「古伊万里」と呼び、特に赤絵(あかえ)が完成して以降のものを差します。
それ以前のもので1640年前後までに出来た素朴な染付磁器を「初期伊万里」と言われ大変貴重で、今では高価なものとなっています。
そば猪口で多く見られる「染付」は酸化コバルトを主成分とした呉須(ごす)で模様を下絵付けし、その上に透明釉(とうめいゆう)を掛けて焼いたものです。
「伊万里」は佐賀県・有田周辺で焼かれた焼物を呼び「鍋島」「柿右衛門」と並んで有田磁器の三大様式の1つです。
古い有田焼が「伊万里」と呼ばれるのは有田の近くに伊万里港がありそこから全国各地に出荷されされ古い有田焼が「伊万里」と呼ばれるようになりました。またオランダ東インド会社(VOC)と交易のある長崎出島を通じヨーロッパへ輸出されバロック期のヨーロッパの王族・貴族の城の調度品として珍重されその名は更に高名となります。
輸出された磁器の8割、9割がこの古伊万里様式の大壷や大皿の類いで伊万里様式が豪華絢爛で華美な様式に変化していったのは、1659年に始まった長崎出島からの輸出以降のことです。

僅かですが手持ちの猪口の染付文様の画像です。お時間でもありましたらこちらをご覧下さい。


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