蕎麦打ち奮戦記


◆そば粉の仕入れと10回目の蕎麦うち
これは7回目の蕎麦、、、、ちっとも上達してないね(^ ^;
2003年5月8日

今回で10回目の蕎麦うちとなりました。道具の準備を始め、打ち終わって道具を仕舞うまでの時間は1回目より20分程短縮され最近は約40分程になりましたが、、、、、
打つたびに出来具合は変わります。まだまだ蕎麦を打ってるとは云えませんが蕎麦の出来、不出来がうっすらと理解でき、疑問点も沢山生まれるようになってきました。
過去の経験では「のし」の工程で端に細かいひび割れを生じることが度々でした。これは手際の悪さが多分に影響しますが水の量と「水回し」の工程で粉に水が均等に行き渡らず、「のし」に入り、水分が蒸発するのが原因のようです。
今日の夕刻のお天気は曇時々小雨、気温19度、湿度80%、蕎麦うちには良いお湿りのようです。10回目の記念てことではないのですが新たに製粉所から分けて頂いた挽きたてのそば粉を使用します。
水はそば粉の重量の半分を用意しますが今回はいつもの量より僅かに多めの準備。加水をし「水回し」の工程へ。挽きたての粉が良いのか蕎麦の香りが何時も以上に立ち込め、俄然手先にも気合いが入ります。4回目の加水で微妙な水加減を手のひらの感触で判断し、今回はいつもより多めにしてみました。「くくり」「練り」「のし」「切り」とかなり順調に進み、暫く冷蔵庫にねかせてからゆでます。「ゆで」も鍋の湯量を考えて少量ずつ、頃合い良く揚げて流水でぬめりを取り、氷水で締めます。とても艶のある綺麗な蕎麦が出来上がりました。
先ずはそばつゆを着けずそのまま食べます。「美味い!!」つるつるとした喉ごしも良い、こしの具合も丁度良い、今回は「ゆで」と「洗い」の工程にもかなりのこだわりを持ち、助手の手助けなしで通したのが良かったようです。つゆは市販品を割って使用してますが蕎麦の美味さに合わせたつゆが欲しくなります。次回はつゆ作りに挑戦する予定です。
材料の良し悪しと手際の良さが美味さに繋がるのでしょうがそれ以上に各工程を丁寧且つ迅速にし、精神集中が蕎麦うちの基本のような気がした10回目の蕎麦うちでした。

前回は友人がタケノコと家庭菜園の野菜を届けると連絡が入り、仕事の合間の立ち寄りを無理に引き止めて手打ち蕎麦とその講釈をご馳走しましたが感想の程はどうだったでしょう。


【使用したそば粉】

小麦粉、打ち粉、そば粉 純国産そば粉とすいのう
今回使用したそば粉は純国内産で産地は北海道幌加内町の玄蕎麦を石臼で丁寧に挽いた全粒粉を北川製粉所さんからお分けして頂きました。
江戸で使用されたそば粉は主に深大寺や練馬を中心とする江戸西北周辺部を供給地とし、これが中野、新宿に運ばれ、ここで石臼に挽かれて市中に出回ったようです。また藤沢、秦野方面のソバは保土ヶ谷を経由して江戸に入りましたが北川製粉所さんはその名残のようです。

【そば粉との出会い】
かなり古い話です。祖母は戦後の物資難の頃から小作用の空き地を利用してナス、トマト、サヤエンドウなどの野菜をつくり農家の手助けを得ながら麦やサツマイモまでつくり二つの納屋では収まらず通用口の土間一杯に積み上げられることもありました。そんな祖母が一度だけソバを植えたことがあります。ソバの収穫はきわめて短く、俗に「そばは75日」と云われますが刈り取りの時期が遅かったのか掛け干しの時大半の実が落ち、残ったのは僅かでした。ある日、私は学校をずる休みしました。躾に厳しい祖母が許してくれるわけがありません。子供は学校へ行くのが仕事、その仕事が出来なければそれに変わることをしなくてはならないと叱られました。
何か仕事を下さいと祖母へ云うと収穫して雑穀したばかりのそばの実と石臼を取り出し挽くように命じられました。ゆっくりゆっくり実をいたわるように石臼を廻し、殆どは祖母が挽きましたがその丁寧さと祖母の心遣いを感じた8歳の時の想い出です。挽きたてのそば粉でそばがきを作り、初めて口にした蕎麦の味は今も記憶に残っています。その頃、家では木鉢を使い手打ちのうどんと水餃子の生地を作っていました。当時、九州ではそれも長崎の片田舎に蕎麦はありません。私も麺の蕎麦を口にしたのは上京後のことです。
祖母は何処で蕎麦の味を覚えたのでしょう。他の家庭では見られなかった水餃子は祖父の赴任地だった海外で覚えたようです。同じように蕎麦の味も覚え、早くに亡くした祖父を偲んでそばを植えたのではと想像してます。・・・つづく

【参考】  北川製粉所  蕎麦さろん



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