匠の技を見せてくれた棲み家









日本家屋の間取りは、地域性や時代背景、家業等によって異なってきますが、共通して 玄関や座敷、仏間といった客人を迎い入れ冠婚葬祭を執り行うことに重点がおかれていたことが伺えます。
日常的に使用しない部屋が全体の半分近くをしめており、いわば住まい手の生活を 犠牲にしていたかのように見える。 事実、過去においてそうであったことは、否定できないことです。
棲み家とは、人間と道具が共存する器(南にトイレをおいた棲み家・参照)である前に 人と人が触れ合う器と云えます。
人と人が触れ合う場は、屋外と屋内ではかなり異なったシーン(場面)が描かれます。
自然を肌で感じる屋外では、人と人は自ずから開放的になったり、逆に嵐に襲われるような 環境の元では、互いをかばい合い協力することで自然界と闘ってきました。
人間の生活は自然界と共存する事を前提にしており、闘う姿は非日常的です。
日常的には、器(棲み家)の中に、心地よい自然環境の部分をどれほど切り取れるかを望んでいます。 紫外線を避けた太陽光、そよ風のように通り抜ける空気の流れ、雨水利用の生活用水など。 自然を相手とした工夫は、その地の気候風土によってそれぞれの工夫と技があり、日本家屋の造りを形成 する要因の一つです。

自ずと恵まれた室内環境の元では人間の行動も変わってきます。
心地よい室内環境に護られ、限られた空間の生活には、人と人は一定の ルールを必要とします。 それが今では死語と化しつつある「しきたり」や「作法」をつくり出したと考えられます。

★長年の「しきたり」「作法」の影響を受けてきた間取り。
その象徴が、客人の歓迎と儀式に重点をおいた「玄関」であり「座敷」です。 それは、財力を物語るより住まい手の「しきたり」と「作法」に関わる考え方を物語ります。 財力に乏しい下級武士が「飯は食わねど、玄関と座敷だけは・・・・・」と言って奥方を説き 伏せて立派な棲み家を構えた事でしょう。
武士には武士の「しきたり」と「作法」、江戸には江戸の「しきたり」と「作法」があった。
最近、新聞の読者欄で娘さんが嫁ぐ日に「床の間のあるような家庭をつくりなさい」と言って 送り出した母親の話がありました。これは、床の間に象徴される「しきたり」「作法」「躾」を指すと 同時に、その考え方や心構えを説いたように受け止める事が出来ます。 現在は硬苦しい言葉と受け止められていますが噛み砕いて今風に解釈すると心豊かな生活がそこに存在します。

「玄関」と「座敷」
間取りの中心となる「座敷」の条件として、二つ上げられます。一つは、床の間と違い棚、建具、 敷居・鴨居、長押、天井などの型の様式。 もう一つは「玄関」から「座敷」までの動線があげられます。 客人を迎え入れ座敷にたどり着くには、門←→前庭←→玄関←→取次←→廊下(内庭)←→取次←→座敷 ←→縁側←→築山の過程をたどります。 こうして見ると元来の日本家屋が、家族構成に関係なすることなく大きな家が必要だった事がうなずけます。



建築の間
間」は、会話や語り、振る舞い、立ち合い・・・・対象とするもののタイミング(時間)と間隔(距離) を指します。
建物では部屋そのものを指し、時間と距離の概念が加わる事で、「人と人」「人と道具」「人と家」が共 存する「建築の間」が出現します。
「建築の間を造る」とは、部屋から部屋へ移動するときの廊下、庭を眺める廊下から廊下への移動する時間、 、立ち寄る広間や取次等をデザインする事になります。
それは廊下の取り方に現れてきます。
時代背景を映して増築を重ねた桂離宮は、その美しさに 「建築の間」を震撼させてくれます。 桂を見る機会は極めて難しくなりましたが、その型は神社仏閣の建築や古くからの料亭などでもお目にかか れます。 廊下を通り次の間へ、本堂から控えまでの板張り廊下、そこから眺めるお庭と借景。




玄関  談話室  居間兼食堂

匠の技を見せてくれた棲み家
設計者は建築設計の過程において、現場での技術的処理が可能かどうかを検証しながら進めます。
その方法として「地下に玄関を構えた棲み家」で取り上げた模型も一つです。
かなりの部分を現場の技術者と設計者で検討して工事を進めますが、特に木造建築の場合は伸縮、 ねじれ、反り等の木材特有の性質と大工の技能によって出来不出来や施工不能の場合があります。 大工の腕しだいといわれる由縁です。
「匠の技を見せてくれた棲み家」は、居間とダイニングを貫く2間半(4.5m)の引き違い障子と 欄間障子を一本の中敷居が支えています。





三方の障子は欄間共に壁内に引き込まれます。

三方の障子を開け放つと大広間と化す。


この棲み家のテーマである「建築の間」の中心部に位置します。
この一本の中敷居に、若い棟梁は一向に首を縦に振ってくれません。
互いに施工方法について検討 を重ねます。なん通りかの方法が出ましたが、棟梁は決まる前に腹を決めたのか無節の檜材を注文 して加工場で刻み現場に搬入しました。
ある棟梁は、こんな話を聞かせてくれた。 「どんなに頑張っても納得がいかない所が出てくる。後で伺っても家主への挨拶の前に その場所を見て、どんな具合か見ないと落ち着かないものだ」 それとは、反対に仕事への集中力が高まり、より以上の成果を上げる場合もあります。
それは建て主と設計者、大工の三者の気持ちが一体となり気持ちが高ぶった時に現れるようです。 さらに大工は、良い材料に恵まれた時にも道具をいたわり刻みを入れていきます。

この棲み家は、過去に旧制女学校の教職を務めたおばあちゃんと高校・中学・小学・幼稚園の 教職を務める親子一家の住まいで、「トイレを南側に置いた棲み家」の翌年に完成。
一家と作者は、家庭と学校教育に関わる話を盛んに交わし、「間」と「間取り」の考え方 へと発展させ「建築の間」のデザインをすすめる事にしました。
「しきたり」と「作法」「躾」の考え方は、いつの時代でも必要とされ、それに見合った生活のマナーや ルールに相応しい「玄関」と「座敷」のある棲み家を造り出さなければと作者は考えているのだが。


建物概要

1F PLAN←参照

この建築は昭和54年竣工で当時の間取りの考え方は日本古来の冠婚葬祭を主ずる二間続きの和室が絶対条件でした。しかし二間続きの和室は古来から伝わる玄関と取り次ぎ、和室を囲む広縁(廊下)があってこそ生きてくる空間です。それらを満足させるには要求される床面積範囲内では無理があります。東山の棲み家では無駄とも云える東西にゾーニングされた居室の取り方と諸々の条件を抱え込む床面積となってます。ここではそれらの条件を解決すべく、庭に面してL字型の広縁(廊下)を配し、南西の角に二間続きの和室、東端に応接間。中央部に食堂兼居間を配します。日常的には和室二間の一部屋はおばあちゃんの個室となり、応接間は家族の談話室。客人を迎えるときは談話室が次の間(控え室)となり廊下(広縁)を通り座敷へと連なります。この間取りが成立した要因は施主家族の生活感と嫁入り前のお二人の娘さんにあったと思います。躾や作法の事、嫁に出す前の大切な儀式。現在それらの全てを住まいで賄うことは希であり、望まれてもいないようですが晴れの舞台となる上客を迎え入れたり、人生最後の葬祭が自宅で出来たら素晴らしい事だと考えます。
建築して3年後、建て主の娘さんは嫁ぎました。「短い期間でしたがこの家で親の教えを請い、親孝行が出来て嬉しかった」の一言は設計者にとっても嬉しいことでした。昨年の暮れ、おばあちゃんは95歳の命を全うされました。


所在:神奈川県横須賀市 
構造:木造2階建て 
1階床面積:101.6u(30.7坪)  2階床面積:52.7u(15.9坪)   延べ床面積:154.3u(46.3坪)  
1階間取り:談話室(12.1u)、居間兼食堂(16.5u)、台所、洗面 浴室 便所、和室1(8畳)、和室2(4.5畳) 
2階間取り:寝室(15.4u)、クローゼット、書斎(7.7u)、個室1(7.3u)、個室2(8.0u)


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