higashiyama その後の東山


2003年(平成15年)に修復工事を終え、2008年(平成20年)の春まで島の新婚さんにお貸しすることにした。
その間は年に一度2〜3泊の予定で旅館を足掛かりに小値賀へ通ったが2008年の初夏から年に二回のペースで東山へ戻り、家屋内外を本来の姿に近づけようと試みることにした。
一年目はこの古家で日常の生活をこなすのがやっと、二年目に入り内外の細かい修繕工事をし、雨樋や家屋廻りの側溝を埋めつくした土砂や枯れ葉を取り除き、三年目に屋内全カ所の清掃に手を着け、地続きの貸家敷地を含め屋敷の隅々まで藪を払い、仕舞って置いた家具や調度品類を引っぱり出し、要所要所に飾り、客人を招き入れてみた。すると眠っていたこの棲み家の魂が蘇ったように東山の全てが活き活きとしてきた。
★参照 : 修復工事(改修、改築)の様子/改装後の1階間取り図





あらためてこの棲み家「東山」を造った祖父の設計図を見てみよう。
←原図は和紙に烏口で五十分の一で描かれた平面図に細筆で書き込まれた各部の仕様。一見すると典型的な日本家屋の間取りのように見えるが台所と茶の間、居間の動線、中廊下と各部屋の配置、二カ所の階段は廊下に接した配置、脱衣・洗面所の工夫、居間〜書斎〜寝室の動線、縁側の外面に取り付けたガラス戸などなど。大正時代の初期の建築としては外観からは想像できないモダンな造りをしており現代住宅の原型の構成である。

 ★参照 : 移転建築時の一階間取り図




この棲み家を建築した頃、祖父は朝鮮の勤務地で舎宅住まいだった。子供達も朝鮮で生まれ学校も朝鮮の日本人学校へ通っていた。舎宅の平面図を見ると一階(30坪)は応接室、居間、子供部屋、書斎、台所、脱衣・洗面所、風呂など間取りも内装も全て洋式の造りだ。二階(24坪)は三寝室あるが間取りは洋式で床が畳敷きとなっている。生活様式は洋式だったことが伺えます。一階から二階を繋ぐ円筒形の物は全室を暖めるオンドルのようです。





祖父が参考にしたと思われる設計図を見てみるとこの時代に建てられた洋式の典型的な外観と間取りであることが分かります。配置図を見ると東屋やお社と鳥居など伝統的な日本の庭園洋式が取り入れられています。
東山の外観も内装も典型的な日本家屋のスタイルをしていますが生活様式としては和洋折衷の生活感を意図したと考えられます。





up date 2010.06.20
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